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2014/06/15

どう教えるかよりも,作業療法の何を教えるかだよね

今日は日曜だけど事務所の日直当番.出勤してすぐに,隣接する高齢者専用マンションから「来て欲しい」と電話があった.何が起ったのか話すよう促すと,「寂しい」と返ってきた.事務所に足を運んでもらって15分ほど話を聴くと,「落ち着いた」と帰った.遠くの方で「本田がゴールを決めたー!」とテレビが叫んでた.

ボクがゴールを決めた状態とは何だろうと考えた.よく話を聴くことは大事だね,と完結するのはあまりに雑過ぎる.彼女と施設が抱える根本的な課題を明確にして,作業療法士の知識と技術を使って貢献できることを考えた方がいいのかな.この思考過程こそが,実習生へ最も大事に伝えるべきことだと思う.



tomoriくんめがねOTさんの日記がおもしろかったので,リレーします.



近年,実習でレポートを課さない病院,施設が急増してきた.効率性と効果を考えると喜ばしい進展だけど.レポートを義務づけないことで問題解決したと思い込むセラピストがいないかと不安になる.教育方法は大事だけど,教育する内容ほどではない.その内容とは作業を大事にする実践で,OT協会や世界作業療法連盟も強調している.

教員だったころ,県外のベテラン実習担当者から「学生がICFでレポートを書きたいと言っているが,自分はICIDHしか知らない.病気が治ればADLが向上し,退院できるという考えでもイイか」と電話があった.「作業療法のことは私が教育しますので,病気のことだけ教えてください」と丁重に伝えながら,この人も葛藤しているんだろうなぁと思った.

作業を大事にする実践を学生に伝える上で難しいのは,自分がうまく実践できていないという自覚.今だってボクにもある.学生と望ましい結果を始めに共有してからスタートした方が効率よく教育できるけど,筋緊張ではなく習慣をターゲットにしているので思い通りにいかないこともある.でも,結果に辿り着くまでの過程で発見できることもある.








だからこそ,難しい,悩ましいと言いながら学生と一緒に考える.「釣りに行きたいって言ってたさね.じゃあ,連れて行こうかっていうと,それは違うじゃん.あの人が行きたい海に,行きたい時に,一緒に釣りがしたい家族や友人と行けるようにならないと支援にならないよね.でもさ,それって現実的かな.いや,オレが勝手に限界を決めてるだけかな,そもそも釣りである必要があるかな.いや,釣りじゃないとダメなのか.あぅあぅー迷うぅ.もっと本人から話を引き出して,家族からも情報集めたらゴールが見えるかもねぇ」と,一緒に考える.

習慣化を目的にする必要がない場合もある.ゴールがどのような形であれ,選択した理由に利用者と関係する人々にとっての価値がある.

「ボクら作業療法士は,特定の人々との関係の中で築かれてきた,個人的な意味と目的がある何かすることを作業と呼ぶ.作業活動で治療を行う人というよりは,相手が自分で作業ができるように支援する人なんだよ」こうして体験を通して学生に伝えることが,作業療法の強みを活かした臨床教育だと思う.


迷う時,自分と学生に伝える言葉がある.
「答えが見つけられないことは,苦しい.楽になりたければ,クライエントよりも自分が興味のあることに没頭すればいい.自分で考えずに他人から期待されているまま,訓練のための訓練をやればいい」

「楽しい!を手に入れたいなら,悩ましい!を覚悟しなくちゃ」


(支離滅裂な構成だなぁ.でもなぁ,考える過程をオープンにしようって書いた記事でもあるから,公開しちゃうか.無責任かなぁ.かわいいから許されるかな,そうだね)

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