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2014/04/02

第1回 日本臨床作業療法学会のシンポジウム補足

6才の息子に,バカなことばっかりやってるなと話したら,
「どうしたんだヘイヘイ,ベイビー!機嫌直してくれよ〜
いつものようにキメて,ぶっ飛ばそうぜぇーー」と笑顔で歌いながら,
ボクの顔を往復ビンタしてきた・・・おいおい,ファンキーだな.


先日,日本臨床作業療法学会がおかげさまで無事に誕生しました.
同行した職場の新人くんは竹林さんの講演に一番ぶっ飛ばされた,と
しきりに呟いていました.職場に無理言ってでも連れてきて良かったなぁ.

さて,続々とWebアンケートの結果が届いていますが,
シンポジウムでもっと意見を聴きたかったという内容が多いです.
面白いことは言えません,としか発言していないので補足します.



「『作業を通して健康になる』は共通の核と言えるか?」



言えると思います.
もちろん,作業と健康についての定義は議論の余地がありますし,
それは作業療法士だけの定義と言えるかという疑問や,
共通が理想だが現実としては共通しているは言い難いという懸念もあります.

曖昧さや疑問,懸念については学会長講演および数多くの演者がまとめ,
解決策についてあらゆる立場から提案していました.
その中にはエビデンスを求める試みもありました.

正解を明らかにするというだけではなく,
正しい問いを発見することも学術だと解釈していますので,
共通の核と言えるか?という問いに対しては,言えると答えます.



「作業療法の理想の立ち位置は,医療か作業か?」



作業療法では人−作業−環境のダイナミックな相互影響を理解します.
したがって,医療か作業という問いに対しては一概には答え難いです.
急性期病棟と特養ホームではあまりに人・制度の環境が異なり過ぎるからです.

個人的な意見を問われたなら,
作業の方に寄ります.でも,医療に背を向けてはいません.
医療にしっかり向き合いながら,作業に立っています.

じつは打ち合わせの時にsamuraiOTさんが言ったことで,
「良い言葉だ!このタイトルでブログ記事を一本書けるね,書いてよ」
と彼に促したのに,ここでパクちゃっいます笑.ごめんね.同感なんです.



「OBP(作業を大事にする実践)に,障壁はあるか?」



tomoriくんも書いていましたが,ありますね.
今回,参加者の多くが障壁はあると語っていました.
言いなりが楽なんですが,自分を偽れないのだと共感しました.

作業療法の「核」と「立ち位置」について作業療法士も説明が難しいので,
対象者,家族,チームメイトも理解し難いのだろうと思います.
悪気は全くなくて期待の意味を込めて,作業療法士らしさを求めています.

ギャップが苦しくて,エビデンスさえあれば解決や回避できる,
と考える傾向になりがちです.少なくても,ボクはそうでした.
でもそれは理解という名の信頼があって生きる武器であって,
逆境からすべてをひっくり返す一手ではないように思います.

脱線します.

エビデンスが乏しいからと言って,それは必要ないと開き直るのは問題です.
セラピストの経験に基づいた感覚と,クライエントの笑顔で十分というなら,
プロではありません.もちろん,それらを否定しているわけではありません.

話を戻します.

まずはイイね!と思える事例を通して一緒にやろうかと感じてもらい,
介入と結果はチームの協力がなければ実現しなかったことを言葉で伝え,
継続するために経験や直感ではなくエビデンスを活用する,という順番が理想です.



学術的であるか?閉鎖的ではないか?と,
1年前から理事一同は危惧していました.
その可能性を認めて可能な限り対策した上で,それよりも大事にしたかったこと.






まず,やってみる




やってみれば,わかる言葉がある




わかると,イメージできる未来がある




見えたら,怖くても迷いなくスタートできる




共に創りたい未来に向かって,





スタートできる


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