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2012/03/20

自分と世界を正しく知る

先日のクリニカル・クラークシップ研修会で、
冒頭に入れたエピソード。
だいぶ前の日記にも書いているんだけど、再挑戦。







山梨の病院で10週間の臨床実習を体験中に、
学院から訪れた教員が投げかけた問答。


「あなたはあの池の小さい鯉。
バイザーと私はあの大きい鯉」

「小さい鯉は、大きい鯉が世界で一番大きく、
池が世界のすべてと思っている。

大きい鯉は、小さい鯉より大きいと知っている。
でも、もっと大きい人間の存在を知っている。
池が世界のすべてではないことも、知っている」


「あなたは手技を真似ようと必死で見学しているけど、
あなたと臨床のOTの違いは手技よりも、
自分と世界を正しく知っているかどうかの違いが大きい」


「あなたは、あなたに何ができるか、
何ができないか知っていない。
でも、私と臨床のOTは知っている」

「この差は、知識と技術の差よりも大きい」




何が言いたいのか、さっぱりわからなかった。
それだけ言い渡して帰った教員が、
それ以上の言葉を残さなかった意味を考えていた。

自分と世界を知っているから、
自分を過小評価せず、必要以上に不安にならない。
自分を過大評価せず、実力以上に自信を持たない。


これは学校では学べない。
自分にできること、できないことを教えてくれるのは、クライエント。
それから同じ職種と他職種。

世界を知るというのは、
ある能力が1つの職種のすべての価値ではない、ということ。
プロ野球選手が人物画の才能が無いと悩む、
歌手が100mを13秒台しか走れないと悩む、
それがムダで全く意味のないこと、と同じかな。
・・・例えを間違えた。
でもいいや、そんなに変わらない。




脇道に全力疾走しそうだから出発地に戻ってみる。

実習中に学生に伝えることは、それだけでイイかもしれない。
何ができたかを知っていれば、自分で伸ばせると思う。
何が不足しているかを知っていれば、自分で満たせると思う。

不足があった場合は、関係する人々から求められていることか、
努力や工夫によって伸びることかどうかを知っていれば、
自分で不足を満たすために必要な選択をするだろうと思う。


相手の希望に関係なく、何かをやらせたり与えたりすることが、
作業療法だと思い込んでいた頃の自分には見えなかった、と思う。
目標を共有し、実現のためにクライエントと協業した過程と、
成果を体験しなければ見えなかったことだと思う。




あぶない、話が勝手にどこかに行こうとする。

あの頃よりは、
自分と世界の大きさを適切に測れるようになったと思う。
今もまだ通過地点ではあるけれど、
ここに到達するまでの道のりと歩み方は、
学生も含めた後輩にしっかり伝えた方がいい気がする。

成長するためには、必要以上の不安と傲慢さはムダで、
ちょうどイイ自信と貪欲さは必要だと思うからね。

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